重要古文単語315 四訂版 古典の世界へ導く近現代の作品

原文もたどってみよう 4 枕草子

【原文】

[1]この草子、目に見え、心に思ふことを、「人やは見むとする」と思ひて、つれづれなる里居のほどに、書き集めたるを、あいなう、人のために便なき言ひ過ぐしもしつべきところどころもあれば、「よう隠し置きたり」と思ひしを、心よりほかにこそ、漏り出でにけれ。
[2]宮の御前に、内の大臣の奉り 給へりけるを、 「これに、何を書かまし。の御前には、『史記』といふ書をなむ、書かせ給へる。」 など、のたまはせしを、 「枕にこそは、はべらめ。」 と申ししかば、 「さば、得てよ。」 とて、賜はせたりしを、あやしきを、「こよや」「なにや」と、尽きせず多かる紙を書き尽くさむとせしに、いと物覚えぬ言ぞ多かるや。
[3]大方、これは、世の中にをかしき言、人のめでたしなど思ふべき名を選り出でて、歌などをも、木・草・鳥・虫をも、言ひ出だしたらばこそ、「思ふほどよりはわろし。心見えなり。」と、そしられめ。ただ、心一つにおのづから思ふ言を、戯れに書きつけたれば、「ものに立ちまじり、人並み並みなるべき耳をも聞くべきものかは」と思ひしに、「恥づかしき」なんどもぞ、見る人はし給ふなれば、いとあやしうぞあるや。
[4]げに、そもことわり、人の憎むを「よし」と言ひ、褒むるをも「あし」と言ふ人は、心のほどこそ推し量らるれ。ただ、人に見えけむぞ、ねたき
[5]左中将、まだ「伊勢守」と聞こえしとき、里におはしたりしに、端の方なりし畳をさし出でしものは、この草子載りて出でにけり。まどひ取り入れしかど、やがて持ておはして、いと久しくありてぞ、返りたりし。それより、歩き初めたるなめり。とぞ、本に。

〔注〕内の大臣―藤原伊周。 枕―諸説ある。「しき『史記』たへの枕」からの連想か。 左中将―源経房。 とぞ、本に―作品を終えるときのきまり文句。

   
【現代語訳】

[1]この草子は、私の目で見て心で思ったことを、「人が見るかもしれない」と思って、〔退屈な〕里住まいの間に、かき集めたが、〔なんとなく〕他人には〔不都合に〕言い過ぎたところもいくつかあるので、「うまく隠しておいた」と思ったのに、思いがけなく世間に漏れてしまった。
[2]中宮様に、内大臣が〔差し上げ〕〔なさっ〕た紙を、中宮様が、 「これに何を書いたらいいのかしら。〔〕は『史記』という書物を書き〔なさっ〕た」 などと〔おっしゃっ〕たのを、 「それなら枕で〔ございましょ〕う」 と〔申し上げ〕たところ、 「それなら、おまえにあげよう」 とおっしゃって〔くださっ〕たが、〔変な〕ことを、「これもだ」「あれもだ」と、とてもたくさんあった紙全部に書こうとしたから、全く何なのかわけのわからない文句が多くある。
[3]大体これは、世の中で〔おもしろい〕ことや、人が〔すばらしい〕と思うはずのことを、選び出して、歌などでも、木や草や鳥や虫のことまで書き記したから、「思っていたより〔よくはない〕。見え透いている」と非難されるだろう。わたしはじぶんの考えで〔自然に〕思ったことを戯れに書いたのだから、「ほかの作品にまじって、人並みに扱われるような評判になるはずはない」と思っていたのに、「〔立派だ〕」などと読む人は言い〔なさる〕そうなので、とても〔変な〕気がする。
[4]なるほど、それも〔当然〕で、人が嫌うものを「〔よい〕」と言い、褒めるものを「〔悪い〕」という人は、その人の心の程度がおしはかられる。わたしとしてはただ、この草子が人に見られたのが〔くやしい〕。
[5]左中将殿がまだ「伊勢守」と〔申し上げ〕た時、わたしの実家に〔いらっしゃっ〕た時に、端の方にあった畳を差し出したところ、この草子が畳に乗って出てしまった。〔うろたえ〕て取り入れたが、〔そのまま〕持って〔いらっしゃっ〕て、ずいぶん経ってから返ってきた。その時から世間に知られるようになったのであるようだ。というように、元本に書いてある。

原文もたどってみよう 6『建礼門院右京大夫集』

【原文】

[1]寿永元暦などのころの世の騒ぎは、夢ともまぼろしとも、あはれとも何とも、すべてすべて言ふべきにもなかりしかば、よろづいかなりしとだに思ひ分かれず、なかなか思ひも出でじとのみぞ今までも覚ゆる。見し人々の都別ると聞きし秋ざまのこと、とかく言ひても思ひても、心も言葉も及ばれず。
[2]まことのは、我も人も、かねていつとも知る人なかりしかば、ただ言はむ方なき夢とのみぞ、近くも遠くも、見聞く人みな迷はれし。
[3]大方の世騒がしく、心細きやうに聞こえしころなどは、蔵人頭にて、ことに心のひまなげなりしうへ、あたりなりし人も、「あいなきことなり」など言ふこともありて、さらにまた、ありしよりけに忍びなどして、おのづから、とかくためらひてぞ物言ひなどせし折々も、ただ大方のことぐさも、
[4]「かかる世の騒ぎになりぬれば、はかなき数にただいまにてもならむことは、疑ひなきことなり。さらば、さすがに露ばかりのあはれは懸けてむや。たとひ何とも思はずとも、かやうに聞こえなれても、年月といふばかりになりぬるなさけに、道の光もかならず思ひやれ。また、もし命たとひ今しばしなどありとも、すべて今は心を昔の身とは思はじと、思ひしたためてなむある。そのゆゑは、ものをあはれとも、何のなごり、その人のことなど思ひ立ちなば、思ふ限りも及ぶまじ。
[5]心弱さも、いかなるべしと身ながら覚えねば、何事も思ひ捨てて、人のもとへ、『さても』など言ひてやることなども、いづくの浦よりもせじと思ひとりたる身と思ひとりたるを、『なほざりに聞こえぬ』などな思しそ。よろづただ今より、身を変へたる身と思ひなりぬるを、なほともすればもとの心になりぬべきなむ、いとくちをしき。」
[6]と言ひしことの、げにさることと聞きしも、何とか言はれむ。ただ涙のほかは言の葉もなかりしを、つひに秋の初めつ方の、夢のうちの夢を聞きし心地、何にかはたとへむ。

〔注〕寿永―安徳・後鳥羽天皇の代の年号(一一八二年~一一八四年)。  元暦―後鳥羽天皇の代の年号(一一八四年~一一八五年)。  世の騒ぎ―平家一門の都落ち、木曽義仲の入京、一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いなどを言う。  今―筆者晩年の時点の「今」。  見し人々―親しく付き合っていた人々。平家一門のこと。  まことの際―本当に都落ちする時。  我も人も―私(建礼門院右京大夫)もあの人(平資盛)も。  近くも遠くも―平家一門を身近に見る人も、遠く離れて人から聞く人も。  心細きやうに―頼りなく、不安であるように。平家の命運についていう。  蔵人頭―蔵人所の長官。ここでは平資盛。  ありしよりもけに―以前よりもいっそう。  ことぐさ―話の種。口癖。  はかなき数―死者の数。  さすがに―それほどわたしを思っていなくても、やはり。  道の光―冥土を照らす法の光。後世の供養。  つひに秋の初めつ方―平家一門の都落ちが寿永二年七月二十五日にあったこと。

【現代語訳】

[1]寿永・元暦などのころ、世の騒ぎは、夢とも幻とも、〔悲しい〕とも、何とも、すべてすべて言うべき〔身分〕でもないので、万事どうであったとさえ判別できず、〔かえって〕思い出すまいとばかり今でも思われる。親しくしていた人々が都を別れると聞いた秋のこと、あれこれ言っても思っても、心も言葉も及ばない。
[2]実際に〔終わり〕の(都落ちが行われる)とき、私も人も、あらかじめいつとも知る人がなかったので、ただ言いようもない夢のようなことだとばかり、近くで見る人も、遠くで聞く人も、見聞く人はみなおのずと迷ってしまった。
[3]〔概して〕世間が騒がしく、行く末がどうなるかわからないように噂されていた頃などは、あの人は蔵人頭で、とくに心やすくもしておられそうもなかったうえ、近親であった人が「〔つまらない〕ことだ」など言うこともあって、さらにまた以前よりもいっそう人目を忍んだりして、〔自然と〕、とかく〔躊躇し〕ながら逢って話をしていた時々も、ただ〔だいたい〕の言い草にも、
[4]「このような世の騒ぎになったので、〔はかない〕(死んだ)人の数の中に入るだろうことは疑いないことです。そうなればさすがにいくらかは〔いとしく〕思いをかけてくれることだろうか。たとえ何とも思わなくとも、このように親しくし〔申し上げ〕てからももう幾年というほどになった情として、後世の弔いのことを必ず思いやってくれ。また、もし命がたとえ今しばらくあるとしても、すべて今は、心を昔のままの身とは思うまいと、固く決心しているのです。その〔理由〕は、物事を〔悲しい〕と感じたり、何の名残が惜しいとか、その人のことなど思いはじめたならば、思うだけでも思い尽くせないだろう。
[5]心の弱さも、どうあろうかとも自分ながらわからないので、何事も思いを捨てて、あなたのもとへ『その後はいかがですか』など書いて〔手紙〕を出すことなども、どこの浦でもするまいと決心している身と決めているのを、『あなたを〔いい加減な〕気持ちで思ってお手紙を〔差し上げ〕ない』などと思わないでくれ。万事、ただ今から死んだ身と思っているのに、それでもなお、ともすると元の心になってしまいそうなのは、ひどく〔残念だ〕」
[6]と言ったことを、本当に〔しかるべき〕ことだと聞いたが、私に何を言うことができよう。涙の他は言葉もなかったが、ついに秋の初めの頃、夢の中で夢を聞いたような(悲しくはかない出来事を聞いたときの)心情は、何にたとえられようか。

   

原文もたどってみよう 5『今昔物語集』

【原文】

 [1]今は昔、池の尾といふ所に禅智内供といふ僧住みき。身浄くて真言などよく習ひて、ねんごろに行法を修してありければ、池の尾の常塔・僧房などつゆ荒れたる所なく、常灯仏聖なども絶えずして、折節の僧共・寺の講説などしげく行はせければ、寺の内に僧坊ひまなく住み賑はひけり。かく栄ゆる寺なれば、そのわたりに住む小家ども、数あまた出て来て、郷も賑はひけり。 [2]さて、この内供は、鼻の長かりける、五六寸ばかりなりければ、おとがひよりも下がりてなむ見えける。色は赤く紫色にして、大柑子の皮の様にして、つぶ立ちてぞ膨れたりける。
[3]されば、物食ひ粥など食ふ時には、弟子の法師をもつて、平らなる板の一尺ばかりなるが広さ一寸ばかりなるを鼻の下にさし入れて、向かひゐて上様にさし上げさせて、物食ひ果つるまでゐて、食ひ果つれば打ち下ろして去りぬ。それに、異人をもつて持ち上げさする時には、悪しくさし上げければ、むつかりて物も食はずなりぬ。されば、この法師をなむ定めて、持ち上げさせける。
[4]それに、その法師心地悪しくして出で来ざりける時に、内供、朝粥食ひけるに、鼻持ち上ぐる人のなかりければ、「いかがせむとする」などあつかふ程に、童のありけるが、「己はしもよく持ち上げ奉らむかし。さらによもその小院に劣らじ」と言ひけるを、異弟子の法師の聞きて、「この童はしかしかなむ申す」と言ひければ、この童、中童子の、見目もきたなげなくて、上にも召し上げて仕ひける者にて、「さはその童召せ。さ言は
ばこれ持ち上げさせむ」と云ひければ、童召しゐて来たりぬ。 [5]童、鼻持ち上げの木を取りて、うるはしく向ひて、よき程に高く持ち上げて粥をすすらせぬれば、内供、「この童はいみじき上手にこそありけれ。例の法師には増さりたりけり」と言ひて、粥をすする程に、童、顔をそばざまに向けて、鼻を高くひる。その時に童の手震ひて、鼻持ち上げの木動きぬれば、鼻を粥の鋺にふたと打ち入れつれば、粥を内供の顔にも童の顔にも多く懸けぬ。  
[6]内供、大きに怒りて、紙を取りて頭・面に懸かりたる粥をのごひつつ、「己はいみじかりける心なしのかたゐかな。我にあらずしてやむごとなき人の御鼻をも持ち上げむには、かくやせむとする。不覚のしれものかな。立ちね、おのれ」と言ひて、追ひ立てければ、童立ちて、隠れに行きて、「世に人のかかる鼻つきある人のおはせばこそは、外にては鼻も持ち上げめ。をこの事仰せらるる御坊かな」と言ひければ、弟子どもこれを聞きて、外に逃げ去りてぞ笑ひける。
[7]これを思ふに、まことにいかなりける鼻にかありけむ、いとあさましかりける鼻なり。
[8]童のいとをかしく言ひたる事をぞ、聞く人ほめけるとなむ、語り伝へたるとや。

〔注〕池の尾―京都府長岡京市。  禅智内供―禅智という内供(天皇など身分の高い人を修する高僧)  真言―真言宗の災厄・疾病のための加持祈祷の呪文。  行法―仏教修行。  常灯―仏前に常に絶やさずにともしおく灯明。  仏聖―仏前への供え物。  僧共―僧への供え物。  講説―経文の講義・説法などの集会。  五六寸―一寸は約三センチ。  一尺―約三十センチ。  中童子―寺院で召し使った少年。年長の者と幼少の者の中間の年齢の者。

【現代語訳】

 [1]今となっては昔のことだが、池の尾という所に、禅智内供という高僧が住んでいた。戒律をよく守り、真言などにも詳しく、〔熱心に〕行法を修めていたので、池の尾の堂塔・僧房などには〔少しも〕荒れた所がなく、常灯・仏聖(供え物)なども絶えることがなく、季節ごとの僧への供物や講説も〔多く〕おこなっていたので、寺にはぎっしり僧坊が建ち並び多くの僧が住み着いてにぎわっていた。このように栄えている寺なので、そのあたりに住む小家の数も〔たくさん〕増え、里もにぎわっていた。
[2]ところで、この内供は鼻の長いこと、五、六寸ほどであったので、あごの先より下がって見えた。色は、赤紫色をしていて、大きなみかんの皮のようにツブツブしてふくれていた。
[3]そこで物を食べ、粥などを食べる時には、弟子の法師に長さ一尺幅一寸ほどの平らな板を持たせ、鼻の下に差し入れて、向かい合って座って鼻を上に持ち上げさせて、食べ終わるまでそうしておき、食べ終わると、板を下げて立ち去らせた。ところが、ほかの法師に持ち上げさせる時には、持ち上げるのを〔悪く〕持ち上げたので、内供は〔不愉快に思っ〕て物を食べなくなってしまう。そこでこの法師をそれと定めて、持ち上げさせていた。 
[4]ところが、この法師が病気で気分を〔悪く〕して出てこなかった時に、内供は朝粥を食べようとしたが、鼻を持ち上げる人がないため、「どうしたものか」と〔もてあまし〕ていると、一人の童がいて、「鼻なら私にも持ち上げて〔差し上げる〕のだがなあ、〔まったく〕〔まさか〕あんな小僧には負けないだろう」と言ったのを、他の弟子の法師が聞いて、「この童がこれこれと申します」と内供に言ったところ、この童は中童子で、〔見た目〕もこざっぱりしており、上の間にも召し上げて使っている者なので、「ではその童を〔呼べ〕。そういうのなら、この鼻を持ち上げさせてみよう」と内供は言ったので、童を〔呼ん〕で連れてきた。  
[5]童は鼻を持ち上げる板を手に取って、内供に〔きちんと〕向き合って座り、ほどよい高さに持ち上げて、粥をすすらせると、内供は「この童は〔とても〕上手だ。いつもの法師にまさっている」と言って、粥をすするうちに、童が顔をそむけて、大きなくしゃみをした。とたんに、童の手が震えて、鼻を持ち上げている板が動いたので、鼻を粥のおわんにばちゃっと入れてしまったところ、粥は内供の顔にも童の顔にも粥がたくさんかかった。
[6]内供は大いに怒り、紙で顔にかかった粥をぬぐいながら、「おまえは〔ひどく〕〔分別のない〕乞食野郎だ。私ではなく〔高貴な〕人の御鼻を持ち上げていたらどうするのだ。間抜けのばか者め。出て行け、こいつめ」と言って、追い立てたので、童は立って物陰に行き、「世の中にこのような鼻つきの人がほかに〔いらっしゃる〕のならば、ほかで鼻を持ち上げましょう(でもそんな人はいるはずがないですね)。〔愚かな〕ことを〔おっしゃる〕お坊様だ」と言ったので、弟子たちはこれを聞いて、外に逃げ出して大笑いした。  
[7]この話を思うに、実際どんな鼻だったのだろう。とても〔あきれるほどの〕鼻である。
[8]童がとても〔おかしく〕言った言葉を聞く人は、みなほめた、と語り伝えているということだ。

   

原文もたどってみよう 10『さんせう太夫』

【原文】

[1]「さてもよいみやうせやな。これをついでに落ちさいよ。落ちて世に出てめでたくは、姉が迎ひに参らいよ」。つし王殿はきこしめし、「一度には懲りをする、二度に死にをするとは、姉御様の御事なり。落ちたくは、姉御ばかり落ちたまへ。さてそれがしは落ちまいよの」。   
[2]姉御この きこしめし、「さて今度の焼き金をば、姉が口故に、当てられたと思ふかよ。さて自らが落ちよと申すその折に、おうと領掌するならば、なにしに焼き金をば当てらるべきぞ。その儀にてあるならば、けふよりも太夫の内に、姉を持つたと思はいな。弟があるとも思ふまい。」とて、鎌と鎌とで、金打々ど打ち合はせ、谷底指いてお下りある。
[3]つし王殿は御覧じて、「さても腹のあしい姉御やな。落ちよならば落てうまで。おもどりあつてたまはれの」。姉御この きこしめし、「落てうと申すか、なかなかや。その儀ならば、いとまごひの杯せん」とのたまへど、酒もさかなもあらばこそ。谷の清水を酒と御名付け、柏の葉をば杯にて、姉御の一つお参りあつて、つし王殿にお差しあつて、
[4]「けふは膚の守りの地蔵菩薩も、御身に参らする。自然落ちてありけるとも、たんじやうなる心をお持ちあるな。たんじやうはかへつて未練の相と聞いてあり。落ちてゆきてのその先で、在所があるならば、まづ寺を尋ねてに、出家をば頼まいよ。出家は頼みがひがあると聞く。もはや落ちよ、はや落ちよ。見れば心の乱るるに。
[5]やあやあ、いかにつし王丸。かやうに薄雪の降つたるその折は、足に履いたる草鞋を、あとを先へ履きないて、右についたる杖を、左のへつき直し、上れば下ると見ゆるなり。下れば上ると見ゆるなり。もはや落ちさい、はや落ちよ」と、さらばさらばのいとまごひ、事かりそめとは思へども、長の別れと聞こえける。

〔注〕みやうせやな-幸せですね。「みやうせ」は「名詮」の転か。  姉-安寿。「つし王」の姉で、「つし王」とともにさんせう太夫(山椒大夫)に奴隷として仕えている。  つし王-厨子王丸。姉とともにさんせい太夫の奴隷となっている。  焼き金-安寿が焼き印を額に押されようとするときに、安寿の肌身離さず持っていたお守りの地蔵菩薩が救ってくれたことをいう。  金打々-誓いのために金を打つこと。  たんじやう-短慮。 

【現代語訳】

[1]「それにしてもよい幸運ですね。これを機会にして逃げなさいよ。逃げて出世して〔立派に〕なったら、姉の私が迎えに〔参上し〕ましょうね」。厨子王はこの姉の言葉を〔お聞きになっ〕て、「一度目は懲りるだけだが、二度目には死に目に遭う、ということわざは、お姉様の事です。にげるのなら、お姉様だけが逃げ〔なさっ〕てください。そうして、私は逃げないでおきましょうよ」。
[2]姉はこの〔こと〕を〔お聞きになっ〕て、「そうして今度の焼き金を、姉のおしゃべりによって当てられたと思いますか。そしてあなたが逃げよと〔申し上げる〕そのときに、はいと承知していたならば、どうして焼き金を当てられるはずがありましたか。そういうことであるから、今日から大夫の館の中に姉を持ったとは思いなさるな。私も弟があるとも思わないようにしましょう」と言って、鎌と鎌を合わせて、誓いのために金属を打ち合わせて、谷底を指してお降りになった。
[3]厨子王殿は〔ごらんになっ〕て、「それにしても怒りっぽいお姉様だなあ。逃げろとおっしゃるなら逃げますよ。お戻りなさって〔ください〕ね」。姉はこの〔こと〕を〔お聞きになっ〕て、「逃げると申すのか。それがいい。そういうことなら、お別れの杯をしましょう」と〔おっしゃる〕けれど、酒もさかなもあるわけはない。谷の清水を酒と名付け、柏の葉を杯にして、姉が一つ〔召し上がっ〕て、厨子王殿に差し上げなさって、
[4]「今日はいつも私が膚に付けている私たちを守ってくれる地蔵菩薩も、あなたに〔差し上げ〕ます。もし逃げたにしても、短慮の心をお持ちなさるな。短慮はかえって未練の様子と聞いています。逃げていったらその先で、人が住んでいるところがあるならば、まず寺がどこにあるか尋ねて、僧を頼みなさい。僧は頼みがいがあると聞きます。さあすぐに逃げなさい。早く逃げなさい。あなたを見ると心が乱れているようですね。
[5]さあさあ、どうしました厨子王丸よ。このように薄く雪が降ったときは、足に履いたわらじを、後先逆にしっかり履いて、右についた杖を、左の方へつき直し、上れば下ると〔見える〕のです。下れは上ると〔見える〕のです。すぐに逃げなさい。早く逃げなさい」とそれではさようならの別れのあいさつ、この別れのことはほんの〔一時的な〕ものであるとは思うけれども、永遠の別れと聞こえた。

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